仕事人としての東京ガスラグビー部 / works

第20回 皆良田 勝 (前篇)

もし仮に「ラグビーだけ」、「仕事だけ」の生活をしていたら?
どちらもこんなに熱中できていなかったでしょうね。

 本日はありがとうございます。まず、ラグビーはいつから?

ラグビーは3歳から始めました。父親が大のラグビー好きで、学生時代は自分も選手としてやりたかったようですが、父の高校にはラグビー部がなかったらしく、その夢を子供に……という感じでしょうか。また、僕が家で力を有り余らせて暴れていたというのも1つの理由で、「これはちょうどいい」と近所の練馬にあるラグビースクールにいれてもらいました。

 なにかその頃のことを覚えていますか?

3歳の頃のことはさすがに覚えていませんが、実は小学校3年生くらいまではずっと辞めたい……と思っていました。ちょうどその頃にJリーグが発足し、サッカーの人気が高く、野球もテレビ露出の多い巨人が強かったせいもあって人気のスポーツでした。クラスの中で運動神経は悪い方ではなかったので、そっちをやりたいなぁ(その方が目立ちそうだなぁ)という思いがありましたね。(笑) その気持ちをそのまま父に訴えると、「自分でやり始めたものは最後までやれ!」と言われまして、「自分で始めたんじゃないんだけれどなぁ」と悶々としつつもなんだかんだと続けていきました。

ラグビーが楽しくなったきっかけは? 

小学校4年生くらいで、面白くなってきました。理由は単純で同じ歳の子が入ってきたんですね。そこで競争が生まれました。一緒に同じ立場で試合に勝った時には喜び、負けたら悔しがりということを経験できるようになって、ラグビーの面白さが分かってきました。

ラグビースクールの思い出を教えてください。 

仲間は黙々とやる人が多かったですね。このラグビースクールには中学3年まで12年間在籍しました。ラグビースクール同士の大会があるんですが、僕が中学2年の時に、全試合完封勝利で優勝をしました。僕が所属していたのは名門ラグビースクールというわけではなく、本当に近所のスクールだったのですが、ちょうど一つ上の代に人が揃っていて強かったんですね。このスクールで仲間と力を合わせて勝ち上がる喜びを知ることができたように思っています。

 そこからラグビーを続けるべく国学院久我山に入学、AO入試で慶応大学に入学しますね。

高校に入った時は自分がどこまでやれるのかな、とワクワクしたのを覚えています。大学に関しては、あんまり周囲には言っていないんですが、実は早稲田ラグビーに憧れていました。推薦試験を受けて、すっかり受かるもんだと思っていたら落ちてしまい……、がっかりです。実はそこから半年間浪人しまして、慶応の秋入学を受験しました。

準備周到に慶応のAO入試を狙ったわけではなかったんですね?学生生活は?

はい、全く考えていませんでした。(笑) 慶応ではキャンパスが藤沢にあるSFCだったので、レギュラーになった時にラグビーに集中できるように、なるべく、1、2年生の頃に単位をできるだけ多く取ってしまおうと工夫はしましたね。4年間を通じて学校にはなるべく休まず行くようにしていました。大学生になったのだから、ちゃんと勉強もしておこうと考えていた気がします。

学生時代の出来事で一番印象に残っていることを教えてください。

大学4年生を終えた時、大学選手権の決勝後まで行けたのですが、「すべてやり切った感」がすごくあって、気持ちいい部分もあったのですが、いわゆる「燃え尽き症候群」のように、目標を失ってしまい、なにごとにも熱中できない時期がありました。ラグビーに対する態度も決まらず、ぼんやりとしてしまって……。なにせ3歳からやっているので、ラグビーをやらない自分を想像することができないし、ラグビーなしで自分がどうなってしまうのかと怖くもありました。ラグビーで育ててもらったからこそ、ラグビーで恩返しをしたいような気持ちにもなりましたね。

この段階では東京ガスに内定していたんですか?

いや、実は僕は先の理由で秋入学なので、この段階で年生前期という状態でした。つまり、まだ次年度の月からの後期を残していて、同級生より一年遅れるんですね。就職活動も大学ラグビー引退後からのスタートになりました。

 やり残すことなくラグビーに集中してから就職活動ができるという点では秋入学もいいですね。その後、どういう経緯で東京ガスに繋がりますか?

同じ大学に中浜さん、その前にも桑野さんという身近な先輩がいたことで具体的な話を聞く機会には恵まれました。近い間柄なので「中目黒に社宅がある」「福利厚生もしっかりしているぞ」など甘い誘いがあったことは事実ですが(笑)、もちろんそれだけではなくて、ビジネスマンとしての在り方も考えました。ラグビーをやった後に、そこから新入社員のようにスタートするは不安だなと思っていたので、入社直後から、平等に仕事をやらせてもらえるというところにとても魅力を感じました。

 すぐに心は決まりましたか?

その直後、サントリーから声をかけてもらって、一瞬、ほんの一瞬だけ迷いました。しかし、どういうわけか「日本代表になってやる!しばらくはラグビーだけに絞ろう!」というような方向に気持ちが向かなかったんですね。きっと学生時代にやり切ったという思いがそうさせたのだと思います。仕事への関心も相まって、東京ガス入社を決めました。

 東京ガスの練習を見たのはいつ頃で、どんな印象を受けましたか?

実は入社前の10月から週1回だけ練習に参加させてもらっていたんです。内定は頂いている状態、秋卒業直後ですね。大学時代から有名だった選手がたくさんいるということは分かっていたので、その人たちと一緒にできるというのが純粋に嬉しかったし、彼らの存在があるので、ラグビーのレベルも高いと感じました。

 半年が経過し、入社。仕事も始まります。どうでしたか?

はじめの1年間は辛かったですね。休む時間がなくって、眠い状態がずっと続いていた記憶です。帰ってくると0時を過ぎていて、次の日も6時には起きる必要がある。あっという間に1日が終わってしまいました。練習がない火曜と木曜は、普段練習に行かせてもらっている分、仕事も溜まっているので早く帰ることもできず、ペースをつかむまでは大変でしたね。

 お仕事内容についても教えてください。

一言でいうと「営業の支援」です。初年度は北部営業計画部というところに在籍していました。実際に動くのはパートナー企業であるライフバルさんなので、営業の皆さんがやりやすいよう接客ツールを作成したり、イベントを行ったりするのが僕らの仕事です。2年目からは家庭用燃料電池であるエネファーム販売の営業支援を任され、同じようにイベントの企画などを行っていました。実はラグビー部が少ない部署で、現役ラグビー部が配属されたのは初めてだったようです。職場の皆さんは、関心を持って声をかけてくれて、とてもあったかい部署でした。職場では下の名前で呼ばれているんですが、試合の応援にも来てくれて「まさる!」と名前を呼んでくれたりして。嬉しいものですよね。私が配属される前年に引退された速水さん(設備エンジニアリング部)がいてくれたことで、馴染みやすかったというのもあります。その後は、部署ごと本社に集約され、燃料電池事業推進部に異動し、現在は、営業第一事業部という部署にいます。

後篇は1月13日(金)に更新予定です。
(インタビュア:高野美穂)

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