ラグビー部の歴史 / history

【番外編】中瀬真広さん特別ロングインタビュー(前篇)

日本ラグビーフットボール協会のリソースコーチとしてU20・U17日本代表を率い、今ではテレビ中継での試合解説もこなすなど、選手引退後も多方面に活躍の幅を広げている中瀬真広さん。東京ガスラグビー部でもアドバイザーとして活動をされていますが、現在はもう少し俯瞰した立場で日本ラグビーの普及に努め、その牽引役を果たしています。

そこで今回は「連載:部の歴史」の番外編として、現役引退後のラグビーへの貢献の仕方の一例を探るべく、中瀬さんへロングインタビューを行いました。頂いた言葉のあちらこちらから、かつてラグビーが置かれていた状況、東京ガスラグビー部の辿ってきた道、それから現役選手へのエールが感じとれます。

 今日はお時間をありがとうございます。まずは現在の活動について教えてください。

主な取り組みは、日本ラグビーフットボール協会のリソースコーチとしての活動です。「リソースコーチ」という役職の役目はいろいろあるんですが、地域や子供たちへの普及活動から、ユース(高校生世代)、シニアレベルの日本代表強化まで幅広く活動を行っていて、僕はその中で主に若い世代の代表チームのコーチを任されています。具体的には強化合宿や国際大会に同行したりします。後でまた補足しますが、現在、社内での立場としては、広報部のCSR室に籍を置いています。

 今につながる経緯を知るために、まずは現役時代までさかのぼり、その時のラグビーを取り巻く時代のムードや中瀬さん自身のこと合わせて順を追ってお話を聞かせてもらえますか?

まず、僕の東京ガス入社は1996年です。当時の主将は守屋さん(資材部)でした。ここまでの連載を読み返して頂くと分かると思いますが、初年度、東日本社会人リーグ(今でいうトップリーグ)6位となり、全国社会人大会にも出場します。しかし、その翌年は最下位に終わり、クボタとの入れ替え戦で敗れ、あえなく降格。つまり東京ガスラグビー部がもっともいい時期に入社をし、落ちていく様を経験しました。

当時のラグビーを取り巻く背景を先に少し説明すると、入社の前年、僕が大学4年生だった時に第3回のラグビーワールドカップがありました。映画「インビクタス」で有名になった南アフリカで開催された大会ですね。ラグビー好きにとっては日本代表がニュージーランド代表を相手に、145点取られ歴史的敗戦をしたことでも有名です。この時が日本のラグビーファンが一気に離れた節目だったと僕は思っています。若い世代はもしかしたら知らないかもしれませんが、そもそも国内のラグビー熱は大学ラグビーを中心に、80年代をピークにこのワールドカップの時まで続いていたんですよね。大学時代の試合には、お客さんもたくさん入っていました。しかし、このワールドカップでの惨敗がその熱を冷やします。海外に目を向けると、この年はプロ化が一気に進んだ年でもありました。この現状が、社会人ラグビーに変化を与えます。つまりプロの外国人選手の獲得合戦がここから始まっていくというわけです。こうして、東芝や今でいうパナソニック(旧三洋電機)などがチーム強化に拍車をかけた。そんな中で東京ガスラグビー部も、変革を余儀なくされたところはありますね。

 2010年(初めてU20日本代表のコーチに就任した年)に、U20世界選手権でモスクワに行った、中瀬さんにとって思い出深い写真。後ろ姿を見せているのが中瀬さんで練習内容を説明している。一番右に写っているのは、現在パナソニックと日本代表で活躍している内田啓介選手とのこと。

 1996年と97年、部内に大きな変化はないけれど、結果に差があるのはそうした外的要因が響いたのでしょうか?

そうですね。この頃は毎年3人、4人、大学トップレベルの選手が東京ガスラグビー部に入ってきていました。つまり、おっしゃるとおり内部環境はあまり変わっていないんですよね。一方で、既出のようにライバルチームの強化が加速しました。うちのチームはお金をかけて外国人選手を獲得し一気に人材を揃えるというようなことを昔も今もしない方針です。その違いが、1997年にはっきり出たと言えるかも知れませんね。

 降格の年のことを中瀬さんの立場からどのように記憶していますか?

このシーズンは、全敗だったわけです。勝たなくてはならない相手にも負けました。シーズン中、選手には相当なプレッシャーがかかっていました。僕は東日本リーグのレベルでプレーするために東京ガスに入社したつもりだったので、まさかたった2年で落ちるわけにはいかないという焦りはありました。

そんな勝たなくてはならない時に不思議に思っていたことがあって、当時は火曜、木曜、土日の練習だったんですが、土曜の朝、練習に二日酔いで来る人がいたんですね。「そういう時代だった」と言えばそれまでですが、これは当時の自分には理解ができなかった。今振り返ると、「最後はどんな環境であれ自分自身がどう頑張れるかに尽きる」という結論に達するんですが、こうした出来事は焦りがあった自分を正直苛立たせていました。思えば、これは反省点であり、この頃の僕は常に矢印を外に向けて、人や環境のせいにしていました。「俺はこんなにやっているのに、なんであの人は……」と人のことでばかりヤキモキしていた。そのことが自分の成長を止めていたように感じていました。きっとこのインタビューでも何度も口にしてしまうと思うんですが、この「最後はどんな環境であれ自分自身がどう頑張れるかに尽きる」という言葉は、実は今、僕がコーチをしているときによく選手に伝える言葉なんです。そして、そうやって自分でアドバイスをしながら、ふと過去の自分が聞いているような気持ちになって、今になって当時の反省点に気が付くということがよくあるんです。

当時は先輩方に対しても相当生意気なことを言っていたと思います。思い返すと僕のことを周囲はどう思っていたんだろうか、と思うこともありますね。おそらく、「じゃ、お前はやってんのかよ」と思われていたかもしれません。相当やんちゃだったはずで、守屋さん、尾関さん、宮島さんといったリーダー陣や、鵜沼さん、吉村さん、打矢さん、中田さんといったベテラン勢に相当迷惑をかけたんじゃないかなと思いますね。当時を思うと本当に申し訳ない気持ちです。

 入社前の思いに反して、現実は厳しく、チームは降格をしてしまいました。その後の数年はどんな気持ちでしたか?

東日本リーグから落ちてからもしばらくの間は、それを周囲の人のせいにしていて、1~2年間は正直ラグビーに身が入らなかったです。このまま、ただ毎年ラグビーを続けても、全く面白くないし、そんな状況だから自分のプレーも全然うまくいかない。当時すでに26歳になっていて、ふと、「俺はこのまま現役を終えるのか」と不安になったんです。そこでね、語弊があるかもしれないけれど、試合の勝ち負けとかそういうのは、自分の力だけでは決められないのでちょっと一旦横に置いておいて、自分がいかにベストを尽くせるかということを考えられるようになったんですよね。

そう思えるようになったのは実はきっかけがあって、ちょうどその頃、入社から数えると4年目くらいの頃ですが、代表チームに呼んでもらえるようになって、自分のチームだけではなく様々な環境にいる選手と会話をする時間ができたんです。そこで出会った選手達は常に「自分はどうあるべきか」ということを考えていたんですね。この時に気が付いた。トップでやっている連中であっても、それぞれが思うパーフェクトな環境でできているわけではなくて、誰にとっても自分が変えられることと変えられないことがあるということ。ごく目の前のことに置き換えれば、例えば、試合で負けていることを自分だけの力でひっくり返すことはできないけれど、今目の前にあるキックを入れること、今目の前にいる相手にタックルすること、それは個人レベルでできるんですよね。そして、その練習を一人ですることはできるわけです。

 まずは個人のプレーに注力するという発見。少し視点を変えて、これまでのインタビューで主将という立場を拝命したことで、個人のことだけを考えられなかったという声もありました。このあたりについてどう思いますか?

僕は東京ガスラグビー部でキャプテンはやっていないんですよ。結果論ですが、僕がならなくてよかったと思っています。なっていたら、自分勝手ですが、ここまで自分のプレーに専念できなかったでしょうし、チームをうまく率いることができた自信もありません。実は僕は中学、高校とキャプテンをやって失敗しています。大学でも、キャプテンの怪我により代行をしているんですが、それもうまくできたとは思っていない。

中学・高校のキャプテン経験を「失敗」と言う方はあまりいなくて、これはその後、「キャプテンとはなんなのか」をかなり徹底的に考えたからこそでる言葉なのだと思います。中瀬さんが過去のキャプテン経験を失敗という理由はどこにあるのですか?

う~―――ん。(しばらく唸る)。やっぱり、なんだろうな、自分に矢印を向けられないタイプ(自分ではなく他人を変えようとして環境を嘆いてしまう)だったんですよね。中高くらいのレベルだとみんなそうだと思うけれど、リーダーとしての素質があるから選ばれるのではなくて、単にラグビーが上手かったからキャプテンになるというようなパターンです。自分がキャプテンとしての仕事ができていたかというとそれは疑問で、「あいつはなんでできないんだ」とか「俺はこんなに言っているのに!」という苛立ちばかりが募っていた。こうやって話すと、今さっき語ったことと同じですよね(笑)。つまりうまくいかない理由は同じことが原因だったというわけです。これでは中高大とキャプテンとして失敗するわな、とつくづく思った。いい選手がいい監督、コーチになれるわけではないというのは月並みですがよく言われることですよね。自分で何でもできてしまう人はできない人の気持ちがなかなかわからない。それは今コーチをしていて痛感します。できない子に対してどうきっかけづくりをするかということが非常に大事なことで、キャプテンもそれに似たところがある。そこは僕の場合、残念ながらナショナルチームレベルでトップ選手にはなれなかった。だからこそ、分かってあげられる部分が少しでもあるんじゃないかと思います。

中瀬さんへのインタビューは中、後篇と続き、コーチとしての苦悩や発見に迫ります。次回の更新は12月9日(金)です。中瀬さんの熱のこもった経験談とエールをお楽しみに!
(インタビュア:高野美穂)

【PROFILE】
■中瀬 真広
1996年 入社。中央事業本部 南部導管ネットワークセンター 総務グループ
2000年 南部導管事業部 計画推進部 経理グループ
2004年 緊急保安部 保安統括グループ
2008年 神奈川導管事業部 計画推進部 総務グループ
2011年 人事部 人材開発室
2015年 広報部 CSR室

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