ラグビー部の歴史 / history

第11話:栄光と苦難(語り手:宮島・守屋・尾関)

ここまで、東日本リーグ昇格と降格の時代について、当時チームをリードした三代のキャプテンの声で時系列に聞いてきました。最終回はもう少し掘り下げた当時の様子や、3人が思う、東京ガスラグビー部における主将の資質などを話してもらいます。

持ち寄った当時の写真や資料でかつてを思い出す。

入社からを振り返り、試合以外の当時の部の様子について教えてください。

宮島:僕は同じ明治大学でひとつ上の中田さんに声をかけられたのがきっかけで東京ガスに入社を決めました。実際入社してからは(10話でも少し触れたように)リーグが2部→1部と1つ上に上がっていたので、話が違うぞと思う面はあったけれど、依然としてラグビーが楽しめる環境がありましたね。入社直後に、仕事とラグビーの両立の大変さというのはすぐ痛感し、学生時代と圧倒的に違うのは、睡眠時間。時間をうまくやりくりしないととても回らない。僕が入社した1991年に今の大森グランドができたのですが、「なんって素晴らしいグランドなんだ」と思いましたね。当時は東日本リーグでも都内に芝のグランドを持っているチームは少なくて、サントリーがグランドを借りに来たりしていましたね。

守屋:僕は、同じ大学の打矢さんと吉村さんにお誘いを受けました。トップチームでラグビーを続けるか、ラグビーはやらずに仕事だけをしていくか、本当に悩んでいる時期だったと思います。いろいろなお話を聞きながら、お二人の人柄、(魔力、もとい)魅力にひきつけられ、また東京ガスラグビー部の「仕事とラグビーの両立」ということも心
に刺さり、入社を決めました。所詮、学生が考えた両立ではあったと思いますが、両方にチャレンジできる環境がある会社で、チャレンジしようと考えたのだと思います。

尾関:僕が東京ガスに入社を決めた理由として、当時の僕には衝撃的な出来事がありました。打矢さんがキャプテンの時の副キャプテンだった相沢さん、それから宮島さんの同級生の五十嵐さん、このお二人が僕を勧誘に来てくれました。

守屋:うん、それで?なにが衝撃的だったの?

尾関:僕の所属していた日体大では先輩後輩の縦の関係が厳しかったのですが、目の前にいる先輩後輩であるはずの相沢さんと五十嵐さんが、それなりに年が離れているにも関わらず、本当にいい友達みたいに見えたんですね。それを見て、あ、こんな関係になれるいい雰囲気の部なんだなと思ったのです。素直に驚きました。実際入社してみても、ラグビーに対するギャップはなかったですね。特に入社時はチームものっていて、イケイケどんどん。自分には非常にフィットしました。ただ、会社生活に慣れるのはそれなりに苦労もあって、学生時代MAX95キロあった体重が、はじめの1年間の会社生活とラグビーの両立で12キロくらい減りました。体育会ですし、性格的にもわりと几帳面な方だと思うんですが、はじめの頃は体が疲れすぎていたせいかどうしても起きられず遅刻をしたということも何度かありましたね。会社の先輩にはよく怒られました。つまり、本当の意味での仕事とラグビーの両立は簡単ではないということですね。なんて言いながらも、寮の思い出と言えば仲間と飲んだ記憶ばかりですけど。

宮島:そうね。ここまでなんだかキャプテンとして大変だった話ばかりしているけれど、とにかく練習後によく酒を飲むチームでしたね。飲み始めるとどんどん人数が増えていく。ある土曜日なんか、土曜の午前練習を終えてその後、新丸子の「三ちゃん食堂」という店に飲みに行って、そのあと居酒屋を転々として、カラオケに行って、翌朝まで一緒にいたなんてこともありましたね。平日も、平気で練習の後に飲みに行っていた。こいつらアホかと思いつつ、自分も参加。(笑) 当日の練習日は、火、木、土、日だったね。

尾関:そうそう。寮でもホントによく飲んだ。小関の記事に書かれていた、3階の階段上がってすぐの部屋でトビラを空けて飲んでいて前を通る後輩を一網打尽にしていたというのは、何を隠そう自分です。(笑) 詳しくはこちら! 時効だから書いてもいいかなぁ……。先輩の武勇伝で朝起きたら、寮の前にバス停が置いてあって、誰が運んできたかまでは明かしませんが、下にコンクリートがついてるバス停だよ?!ここから先はさすがに話を作ってるんじゃないかと思うけれど、そのバス停の前に近所の人たちが朝並んでいたっていうね、これは部の神話の1つかな。つまり、決して辛く厳しいだけではなく、みんなで馬鹿やって楽しんでたことは間違いありません。

最後に、栄光かつ厳しい時期を主将として過ごしたお立場として東京ガスラグビーというチームを引っ張るキャプテンの素養についてどう思いますか??

守屋:当時はいろいろな決断がキャプテンの全権だったので、OBであるスタッフ陣、現役部員、一緒にやっているスタッフと全方位に気を配り、かつプレーでも見せる必要がありました。特に東日本リーグで戦う上で、当時はまず前提として「通用する選手であること」が求められていたように思いますね。ただこれも今はまた異なってきているのかもしれません。でも、やはり究極的には、ラグビー部に関わるスタッフや部員など様々な方々と「信頼」関係をしっかり築いていけることが大切だと思いますね。

宮島:まず、今と昔ではラグビーの質が違う。昔はグラウンドでしっかりパフォーマンスを出し、主将としてゲームを引っ張っていくだけだったように思う。今は、ラグビー自体が随分と変わってきていて、どんどんシステマチックになってきていますよね。明治大学出身の僕からするともはや別種目に近い。(笑)かつては個々の選手の資質である程度勝てたこともあったが、今はチームとしてどのようなラグビーをして、一人ひとりが何をすべきか、どのような戦術かを全員が理解して試合に挑まないと勝てない。だから、今の主将は試合でのパフォーマンスだけでなく、チームの方針やゲームの進め方などを、日頃の練習から選手全員に浸透・徹底させなくてはならないので、大変な任務が加わっていると思う。

尾関:当時に限って言うと、上からも下からも慕われる人望。そして、逆説的だし極端だけれど、たとえ人望がなくても、プレーで引っ張っていける人、ボールを持ったら誰も文句が言えないほど圧倒的なパフォーマンスをグランドで見せられる人だと思います。

現役世代に一言お願います。

尾関:いやいや、先輩の宮島さんを差し置いて僕が偉そうなことを言えないですよ。(笑)

宮島:お前、そんなこという時点で先輩だと思ってないだろ。普段は宮島さんなんて言わないし。

尾関:「みやじ」とか、「みやちゃん」ですね。
宮島:勧誘されたときに見た、相沢さん&五十嵐さんの関係がそのままだな。(笑)

尾関:では、僕から。今の状況は厳しいとは思うけど、やれる環境はあると思うんですよね。大学で活躍した選手も数多く入ってきてくれている中で、実力のあるメンバーが揃ってきている。ただただ厳しいばかりの状態ではないはず。今年は確か目標を少し現実的なものに変えましたよね?僕個人としてはそこではなくて、目標はあくまでも高くやっぱりトップを目指してほしいなと思っています。

守屋:社会人でもラグビーがやれることに感謝してほしいと思う。社会人になってから本気でラグビーをやるというのは願っても実はなかなか叶うことではない。究極的には、出来るものなら、もう一度上がれるなら(トップリーグに)上がってほしいと思っています。せっかくやるからには上のリーグを目指して頑張ってほしい。そうは言っても、昔より仕事が間違いなく厳しくなってきているのは分かるので、その中では本当によくやっていると思っています。

宮島:現役に一言っていう問いかけの前に、伝えておきたいのですが、僕らが主将の頃は苦労したとよく言われていますが、実はそんなに「苦労」をしたという感覚はなくって、負けが続いて落ち込んでいたのは事実かも知れないが本当にやりがいがあって楽しい時間だったと思っている。それはなんでなのかな、と思い返すと、やっぱりシンプルに、自分のやりたかったこと=「ラグビー」をやらせてもらっていたからなんだろうなって思うんですよ。それから、大学の時とは違う楽しさを僕は東京ガスラグビー部で発見しました学生の頃は、秩父宮とかメジャーなグランドでラグビーファンが大勢押し寄せてくれて、それはそれで貴重な体験なんですが、東京ガスに入ってからは、身近にいる職場の皆さんが試合を見に来てくれて、平日に、「惜しかったね」、とか「勝ってよかったね」とかって声をかけてもらえる。距離が近いんです。それがね、社会人としてラグビーをやっていく新たな楽しさだったんですね。だから、すべてを苦労というようには感じていなかった。

今は1人の選手がゲームの中でやらなくてはならないことが本当に多く、15 人全員、いろんなプレーをある程度のレベルで出来なくてはならない時代になっていますよね。練習に必要な時間も確実に増えており大変だと思う。けれど、基本は自分がやりたいと思って選んだラグビーをやっているのであり、環境は上を見ればキリがないけれど、与えられた環境で頑張って、そして楽しんでほしいなと思いますね。

94 年の夏合宿。スポットで外国人コーチを招き、菅平で指導いただきました。戦略や戦術等を指導していただく予定が、基本的なことを中心に学ぶこととなりました。(たぶん、基本的なことがまだまだ出来て無かったんでしょう、、、)写真は、外国人コーチと当日の選手スタッフ等々で、合宿の最後に撮ったもの。

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