ラグビー部の歴史 / history

第7話:東日本リーグ昇格(語り手:打矢・中田・吉村)

引き続き、部の歴史をお届けいたします。

大学を卒業して、それぞれに思い描いていた東京ガスに晴れて入社。その後、初めてのラグビー部との接点を教えてください。

吉村:入社式の前日に部開催の飲み会に誘われて、僕と中田はそこに参加しました。そこで学生時代にはあまり飲んだことがない「ウーロンハイ」がでてきてね。なんだこれ?と思ったんだけれど、社会人になったら「ウーロンハイ」を飲まなくちゃいけないんだなと思って、もう何杯も飲んだ。結果、翌日は気持ち悪くてね。入社式会場のトイレで中田と何度もこんにちは。

打矢:僕は第一勧業銀行(現みずほ銀行)との試合かなぁ…。入社式の2,3日前、頼まれて試合に出たんだよね。ジャージを借りて、チームメイトの名前も顔もわからずにプレーしました。その時に間違えて試合中に「早稲田集中!!」と興奮して大声で言ってしまってね。これは笑われた。これが僕の部との初対面です。

実際にチームの中に入って試合をしてみてどう思いましたか?皆さんにとって当時の東京ガスラグビー部の練習負荷やレベルはどうだったのでしょうか?

打矢:面白かったですよ。ただ、やはり部員の人数が足りないことも多く、グランドの脇でソフトボールをしているような人もいたりして、大学の環境とは大きく違いましたね。
僕の場合、配属先が立川だったんですよ。グランドへ行くまで1時間40分くらいかかった。慣れない仕事の後だし、グランドまで行く途中、何度も挫折しそうになったけど、それを乗り超えて練習に行くと、あー行ってよかったなって毎回思っていた。やっぱり楽しかったんだと思います。

中田:年を追うごとに、だんだん、だんだん、その練習も真面目に厳しくなっていっちゃったけどね。(笑)

吉村:やっぱり、この頃は対戦相手のレベルも高くなかったんだと思います。
打矢:そういう意味でも面白かったのかも知れないね。面白いように勝ててしまうから。

入社時から時系列で、当時の様子を教えてください。

吉村:僕らが入社したころは、平日の火、木には横浜から1つ先に行ったところ(平沼橋駅)にある事業所グランドで練習をしていました。ここには正規グランドサイズの1/3くらいのスペースしかなかった。そして僕らの2年目に当たる1991年に今の大森グランドができたんです。これはとても大きな変化ですよね。合宿も初年度は菅平だったのが2年目は北見になって……

中田:あれは昇格したご褒美だったんだよね。

吉村:1年目の平沼橋からの練習の帰りは、最後までグランドに残った僕たち3人はいつも一緒に電車で約1時間弱かけて武蔵小杉にある独身寮に帰っていました。
中田:仲良くね。(笑)
打矢:結束力だね。電車で帰った時は23時過ぎからでも新丸子で3人でよく飲んだね。

打矢:僕の配属先には、当時ラグビー部の副部長だった小林惇さんが上司にいたんでね。当時フレックスなんかなかったんだけれど、17時くらいになると「練習に行く時間だぞー」なんて言われてね。
中田:そういう意味で職場で多くの仲間に支えられていたんだよね。

ここからは、入社から東日本リーグ昇格までの経緯を聞かせて頂きたいのですが、先に、データから戦績表で振り返ると、初年度2部Cリーグを6戦全勝で1位。入れ替え戦(対警視庁 66-4)に勝利して、1部昇格。翌年は、2勝4敗1引き分けの6位になるものの、皆さんにとっての3年目に一転して7戦全勝、1位。惜しくも、東日本リーグ入れ替え戦でサントリーに敗れています。翌4年目、6勝1敗の1位で入れ替え戦に挑み、秋田市役所に勝利、東日本リーグ(現トップリーグ)への昇格を決めていますね。

吉村:1年目はトントン拍子に全勝。警視庁との入れ替え戦は結果こそ66-4と圧勝だったけれど、この試合(だけ)は、ラインアウトなどきちんと勝つための準備をした記憶があるな。
打矢:予想外に大差で勝ったけど、警視庁サイドにもなんかあったよね?選手の多くが機動隊だから、VIP来日による動員要請か、なにかあって、十分に練習ができていなかったんじゃなかったかなぁ?

吉村:その後はデータのとおり。1部昇格後の2年目はあまり成績が良くなくてね。打矢が膝の靭帯を切って故障していたし、主力を欠いていた。面喰いました。
中田:まあ、戦うステージが大きく変わっているからね。

吉村:けれどその翌年、打矢がキャプテンになって、早稲田の守屋(資材部)や今西(資材部)などさらに優秀な選手も入ってきて、全勝。

中田:この守屋の代では、早稲田のロック、早稲田・明治のスタンドオフが入り、その前年には宮島(IT活用推進部)、五十嵐(宇都宮支社)、正木(都市エネルギー事業部)、高卒の選手もいい人が入ってきた。ここから選手層がさらに厚くなってきたよね。

吉村:僕は92年、勝てると思っていなかった横河電機に勝利できたのが強く印象に残っています。横河電機は、フォワードが本当に強かった。あそこに勝てるのはやっぱり一つの転換点だったね。その後、入れ替え戦でサントリーには敗れたものの、ここが大きな転機だと思いますね。

打矢:たしか横河電機って前の年に東日本リーグから降格したところだったんだよね。以前には大差でぼろ負けしているはず。
中田:大学時代に一緒にやっていたメンバーが相手チームにいたりしたね。

吉村:横河電機って練習量はどうだったんだろうね。当時。

中田:横河電機は工場に勤務場所を集中させていたから、練習時間を確保しやすいということはあったんじゃないかな。組織練習とか必要だったしね。

打矢:組織練習ってうち、あんまりやったことがない?

吉村:僕らの時は監督がいなくて、練習メニューとか運営は選手が自分達でやっていたので、そういった意味では練習のレベルはそんなに高くなかったのだと思う。

打矢:そうはいっても、選手個々の能力が高かったから、難しい戦術とかではないけれど、走り込みとかで十分だった。

中田:もっと組織的で戦術的な練習をやっていたら、さらに強くなっていたかもしれないけれどね。
吉村:そう思うよ。
打矢:僕も横河戦後の、92年入れ替え戦(対サントリー)が印象に残っているな。この試合は僅差の敗北だったね。
吉村:後半20分くらいまで勝っていたからね。

打矢:相手のキャプテンが大学同期の清宮でね。でも、この年に、もし勝って昇格していたら、翌年また下がっていたかもしれないし、まだ東日本リーグへ行くタイミングではなかったのかもしれないね。
吉村:そう思う。まあ、翌々年どちらにしてもひどい目にあうんだけれども…(笑)

第7話に引き続き次週、第8話をお届けいたします。(2015年4月13日更新予定)

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