ラグビー部の歴史 / history

第3話:強化決定以降(語り手:柴田・塩入・新妻・五十嵐)

知っているようで知らない、所属チームの歴史。データだけでは分からない部の成り立ちを探るため、当時の様子や思い出を織り交ぜて、各時代のキーマンに語って頂く企画です。

前回の1、2話では強化に向けて柴田さん、塩入さん、田中さんの入社が決まったところまでをお話しいただきました。今回はその前後に起こった部の変化、過程について当時の気持ちを交えて、柴田さん・塩入さん・新妻さん・五十嵐さんにお話しいただきました。

インタビュー前に当時のVTRを見ているシーン。左から、新妻、塩入、五十嵐。

久しぶりに当時の様子を見てどうですか?

新妻:(VTRを見て)こんなのが残っていたんだね。もうなんだか胸がキュンキュンしちゃったよ。是非、今の部員の皆にも見てもらいたいなぁ。

柴田:まず、新妻さん、五十嵐さんはどんな経緯で東京ガスに入社したの?

新妻:僕は本郷高校を卒業後、81年に入社しました。当時の東京ガスラグビー部はというと、さほど強くはなかったけれど、これから強化していくと聞かされていましたね。
五十嵐:僕も本郷高校の出身で、84年入社。新妻さんの後輩というわけです。実は、高校在学中に、東京ガスが本郷高校に練習試合をしに来たことがあったんです。結果はというと、なんと本郷高校が30点差くらいで勝っています。今ではとても考えられないですよね。

だから、東京ガスは立派な会社だけれど、ラグビーのレベルはそんなに高くないんだろうな……という印象を持っていました。その予想の通りと言うか、高校では3年間ラグビー漬けの毎日だったので、入社後はちょっと物足りなかった。僕は当時、葛飾に住んでいたのですが、神奈川のグランドまで2時間かけてやっと行っても一緒に練習する人が2、3人くらいしかいなくって。さすがにちょっと不完全燃焼なところがありました。

当時の状況をよく現すエピソードとして、公式戦でさえメンバーが足りない時があった。仕方ないから相手チームからメンバーを借りて試合をしていたんですが、その借りてきた選手がトライを決めちゃったりなんかして、もうめちゃくちゃです。(笑)

そんな状態の部に、慶応が日本一になった時の有名なマネージャー柴田とその日本一メンバーの田中、それに早稲田で一年からレギュラーで出場している有名選手の塩入がくると聞いて、初めは「どうしよう、恥ずかしい」と思いました。そんなすごい選手達にこんな状態を見せたら、一体どう思われるだろうかと頭に浮かびました。

新妻:全く同じ思いでしたね。僕はかつて塩入と同じポジションで、高校時代に対戦相手としてやりあったことがあったんですよ。だからこそ意識をした面もあります。これから入ってくる柴田、田中、塩入の3名に、「こんなところに来るんじゃなかった」と思われやしないか、いや、思われたくないという気持ちが強くあって、実は彼らが入ってくる前にフォワードメンバーで、塩入や田中がプレーをしているビデオ見たことがありました。

塩入さんと柴田さんの入部エピソードも教えてください。

塩入:早稲田ラグビー部ではOB会で就職のガイダンスをしてくれるんです。当時の部会長から東京ガスの話があると声をかけてもらい、誰も早稲田ラグビー部の先輩がいないということを知って、「先輩がないということは自由にできる」と思って入社を決めました。

新妻:こんな話初めて聞いたよ。柴田の話も楽しみだなぁ。聞きたいよ。

柴田:僕はちょっと長くなるんですけれど……、卒業後の就職活動先としては、先輩がいろいろ誘ってくれました。僕は学生時代、マネージャーだったので、草ラグビーくらいできたらいいなと思って、銀行や電力会社などを候補に入れていたんです。つまり、当時は東京ガスという選択肢は考えていなかった。

ここからは樋野さんが先に語られている内容と重なるのですが、人事で採用統括をしていた牧野章夫さんが、大学選手権を見て、「こんな面構えのいい学生をなんでうちは採らないんだ!」という感想を抱き指示を出して、創部者である樋野さんがリクルーティングに動きます。そうはいってもルートがないため、樋野さんは社内の様々な人の力を借りて、慶大ラグビー部へコンタクトをしてくださいました。その時の電話をたまたま取ったのが田中秀樹だった。けれど当時の田中は日産、富士通など全く別の進路を考えていて、東京ガスから連絡が来ることを憂鬱に思っている時期があったんです。それを正直に打ち明けたところ、「それならば誰か他にいないのか?」と言われ、「東京ガスに興味がある柴田っていうのがいる」と、僕は売られたんです。(笑)

柴田:強く勧誘いただいたので、田中秀樹と一緒に体育会系の先輩社員が集う会食の席に行くことになったのですが、その集まりの雰囲気が良かった。慶大体育会のバレー部、野球部、剣道部、早大スキー部、京大アメフト部など錚々たるメンバーが集まっていて、なんだか楽しそうだったんです。ここならラグビーもまだあまり強くなさそうだし、面白いかも知れない、と思って企業研究を始めました。すると非常にいい会社だということがわかりましたし、これからの強化に協力してくれないかと言われ、僕は入社を決めました。
そうしたら、「じゃ、僕も」と田中も決めた。(笑)
ところがですよ。余談ですが、早稲田から「あの塩入」が入ってくるって言うじゃないですか!早稲田で1年生からレギュラーを張っている男です。当時の慶応と早稲田は、お互いを強く意識するライバル同士。その後も10月1日の内定式で会いますが、11月23日に早慶戦を控えていて、同期ではあるものの、お互い意識しまくり。そんな思いを胸に秘めて「お互い頑張ろうぜ」と肩を叩いたら塩入がなんか痛そうなんですよ。「早稲田の塩入、どうも肋軟骨折れてるっぽいぞ」…と、さっそく部内に密告。(笑)
この時はまだ、完全なるライバルです。

塩入:現在でも、そのシチュエーションは変わらないよな。同期同士は最終決戦前に会っているんだもんな。

第3話に引き続き次週、第4話をお届けいたします。(2014年7月21日更新予定)

【PROFILE】

柴田陽一
1986年 入社。神奈川導管管理事業所 総務部勤労グループ
1988年 神奈川導管ネットワークセンター 総務部経理グループ
1990年 横浜支社 販売グループ
1992年 神奈川事業本部 総務部勤労グループ
1994年 旭支社 総務グループ
1996年 新横浜支社 販売グループ
1997年 神奈川事業本部 広報部CS推進グループ
1998年 広報部 報道グループ
2003年 川崎支店 総務広報部
2004年 東京ガス都市開発(株) 総務広報部
2005年 秘書部 秘書グループ
2008年 財務部 財務グループ
2011年 エネルギー企画部 エネルギー企画総務グループ
2014年 秘書部

塩入英治
1986年 入社。横浜支社横浜営業所 販売グループ
1990年 横浜支社 営業部住設営業グループ
1992年 空調営業部 冷暖房第二グループ
1992年 都市エネルギー事業部 地域冷暖房開発グループ
1998年 東京ガスエンジニアリング出向
2003年 都市エネルギー事業部 都市エネルギー営業グループ
2003年 都市エネルギー事業部 都市エネルギーサービスグループ
2005年 都市エネルギー事業部 都市エネルギー公益営業グループ
2010年 エネルギー企画部 エネルギー公共グループ
2014年 長野都市ガス株式会社

新妻秀彦
1981年 入社。天然ガス熱量変更センター
1986年 川崎支社 営業技術グループ
2003年 サービス推進部 東京第2お客さまセンター
2008年 お客さまサービス部 お客さま相談室
2011年 東京ガステレマーケティング(株) 東京お客さまセンター

五十嵐幸二
1984年 入社。西部導管管理事業所 工事課第一工事グループ
1987年 西部導管管理事業所 工事課第二工事グループ
1991年 西部導管ネットワークセンター 工事供給グループ
1996年 西部導管ネットワークセンター 幹線管理グループ
2000年 労働組合本部
2002年 西部導管ネットワークセンター 工事供給グループ
2004年 緊急保安部 西部ガスライト24
2004年 労働組合本部
2009年 南部導管ネットワークセンター工事グループ
2013年 多摩導管ネットワークセンター工事グループ

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