ラグビー部の歴史 / history

第2話:創部期~強化まで(語り手:樋野・山部・村松)

第1話に引き続き、樋野さん、山部さん、村松さんのお三方に創部期~強化までの時期について語っていただきます。

同好会からのスタートとのこと。その後、転機があったのでしょうか?

樋野:東京ガスラグビー部の転機は、はっきりと1986年です。
この頃、2つの出来事が重なります。

まずは、その前年(1984年)の冬のこと。その年のラグビー大学選手権を、当時、人事部で採用統括をしていた牧野章夫さん(この縁でその後、ラグビー部長に就任)という人が観て感銘を受けたようで、直属の部下であった小林惇さん(小林さんもこの縁で牧野さんの二代後のラグビー部長に就任)に「おいお前!今年の正月大学ラグビーを見たか。あの選手たちは当社の社風にぴったりの人材だ。今年の大卒の採用は、何が何でも早慶明のレギュラークラスを数人採ってこい!」と命がおりました。突然の指令に目が点になった小林さんから、私に相談があり、早慶明の体育会学生の勧誘をスタートし始めたんです。
社内・部内の人脈をフルに使って話をして歩きました。
その活動で入部してきてくれたのが、柴田、田中、塩入です。
僕は、その後彼らが巻き起こした出来事から、彼らのことを「奇跡の3人」と呼んでいます。

他方、彼ら3人が入社する前年に、僕らは大阪ガスと第1回となる対抗戦をしているんです。
当時大阪ガスは強くてね、とても対戦できる相手ではなかったんだけれど、案の定というべきか、結果は0-96で完敗……。当時の1トライ4点の時代でこの点差です。
今なら100点差以上だよね。これは情けないし、悔しかったし、頭にきた。笑

大阪ガスとの第1回定期戦のあとの記念撮影。当時の金沢グラウンドにて。
あまりの格の違いに呆然、撮影時はかえってサバサバ。(山部)
大敗にも試合を終えた安堵感が漂う?(村松)

そうした出来事が重なって、部の強化が始まります。平日の夜間練習もこのころからスタート。その他にもさまざまな点で制度を変えていきました。

山部:
まずね、柴田、田中、塩入が入ってくる前に、その段階でいた部員全員を武蔵小杉の寮に集めました。家族がある人も、汐見台の寮に集め、職場もできる限りでそちら方面にしてもらった。
理由は、グランドへのアクセス。今考えるとかなり強引ですね。笑 社内の本当にたくさんの人に協力をしてもらいました。

樋野:奇跡の3人は、3人3様だった。
柴田は本当に厳しかったし、田中はそれをガス抜きして慰める役だった。塩入はグランドのプレーで魅せた。

この3人のバランスが良かったんだ。
全員が柴田のようなら、厳しすぎて若手はやめてしまっていたかも知れないし、全員が田中のようだったら、部はルーズな面が多くなりすぎたかも知れない。また、全員が塩入のようでも、当時のような一体感になったかは分からない。本当に3人全員が必要でした。

村松:田中が入社前の3月、2泊3日の春合宿にきてくれたんだよね。金沢グランドに。雪が降ってね、大学選手権で活躍したバリバリの選手が来ると言うから、みんな恐れて迎えたわけですよ。それが練習も真剣で、おまけに馬鹿までやってくれた。もともといた連中とも和んで、仲間意識ができて、早くも同じ1つのチームのようになった。

樋野:そのあとは、彼らを慕う後輩が続々と入ってきた。

山部:年表を見てもらうと分かるけれど、3部、2部で負けなしとなりどんどん勝ち始めた。

村松:ただ入れ替え戦でなかなか勝てなくって、リーグが上がるのは結構時間がかかったんだよね。1987 年に東電との入れ替え戦に勝って、晴れて、2部に、その後1990年に警視庁に勝って一部に昇格しました。

関東社会人リーグ3部から2部に昇格を決めた試合後の牧野部長(当時)の胴上げ風景。グランドは東京電力砂町グラウンド。(山部)

強化への契機の一つにもなった、大阪ガスとの対抗戦も、彼らの3人が入社した年は田中が怪我をしていたため、一回パスをしてもらったものの、翌々年は、河内大蔵の奇跡のゴールキックチャージというのがあってね。これでみんなが燃えて本当にいい試合になり、もうあとちょっとで勝てるというところまで追い付いて、その翌年からは、ずっと負けなしです。(2001とおととし(2013年当時)2回負けたけれどね。)

このあとは、関東社会人1部リーグ、東日本とリーグをあげ、弘田、川崎、打矢、吉村ら早大優勝メンバー、鵜沼、中田、宮島ら明大の中核選手、中村航(大東大)、中瀬(法大)らが選手として活躍した頃は全国社会人大会にも出場するようになります。ちょうど部長が牧野さんから野本さんにバトンタッチされていった時代です。
こうして有力大学からの一線級の選手が次々に入部する中で、かつての新日鉄釜石のように高校卒の選手達が屋台骨を支える活躍をしました。秋田工業、熊谷工業、相模台工業、行田工業、本郷高校などから細川、斉藤(幸生)、石岡、武井、小林(尚之)、蛭川他多くの有力選手が入部し、活躍してくれました。現在でも小関(日大山形)、進藤(秋田工)、箱崎(仙台育英)らが中心選手として活躍しています。その他、レギュラーにはなれなくても、多くの高校卒選手がチームを支えて現在に至っています。彼らの頑張りと成長が、当社ラグビー部の一つのバックボーンを築いてきました。更に彼らの多くは、仕事でも人一倍の頑張りを発揮し、職場の中核として活躍しています。高校卒の選手の頑張りと成長の軌跡は、東京ガスラグビー部を社内的にも共感を呼ぶチームに引き上げていく原動力になりました。
当時、さらに、発展途上にある当社ラグビー部を、縁あって熱心に支援してくれたのは、あの神戸製鋼で大活躍した元エースのイアン・ウィリアムズ氏です。小林惇さんが連れてきてくださったのですが、彼は当社の「仕事とラグビーの両立」という考え方に大いに共鳴してくれ、初の外国人選手やコーチを送りこみ貢献してくれました。
と同時に彼は、当時の秋元人事部長(元専務)と意気投合し、たびたび付き合ってくれ、人事部長に当社ラグビー部の良さを繰り返し伝えてくれたことがきっかけとなり、後年、秋元さんは、社内リストラの嵐の中で部の存続の危機に瀕したラグビー部の代表を引き受けていただき、部を守ってくださったのが、今日のラグビー部の発展につながったのだと思います。
この頃の話は、また当時のメンバーを集めて聞いてみたら、また面白いでしょうね。

本日はありがとうございました。

【樋野氏・山部氏・村松氏にとっての、東京ラグビー部、歴史年表】

1975年 同好会として、発足 関東社会人リーグ加盟
1976年 「仕事とラグビーの両立」をモットーとしてラグビー部発足
1986年 柴田、田中、塩入の獲得に成功。強化開始。平日夜間練習のスタート
1987年 3部Bリーグで1位(勝敗分6-0)関東社会人2部リーグ昇格
1988年 2部Cリーグで1位(勝敗分 6-0)
1989年 2部Bリーグで1位(勝敗分 6-0)

1990年 2部Cリーグで1位(勝敗分 6-0)関東社会人1部リーグ昇格
※この頃大森グランドができる

1993年 1部リーグで1位(勝敗分 7-0)東日本社会人リーグ昇格
1995年 全国社会人大会出場
1996年 全国社会人大会出場(マツダ戦に勝利)
1997年 東日本社会人1部リーグ降格(入替戦でクボタに敗戦)
2003年 リーグ組織変更 トップイーストリーグへ移行
2006年 トップイーストリーグで2位 トップチャレンジマッチに出場。
2010年 トップイーストリーグで2位 トップチャレンジ2進出

次回も、また各時代ごとのキーマンをお招きし、お話を伺っていく予定です。(インタビュア:高野美穂)

このページの先頭へ