ラグビー部の歴史 / history

第1話:創部期~強化まで(語り手:樋野・山部・村松)

知っているようで知らない、所属チームの歴史。
今回は、データだけでは分からない部の成り立ちを探るため、
当時の様子や思い出を織り交ぜて、樋野さん、山部さん、村松さんのお三方に創部期~強化までを、ワイワイがやがやと語っていただきました。

東京ガスラグビー部、発足の経緯について教えてください。

樋野:1973年の入社直後、新人研修が武蔵野園(今のFC東京が練習している場所)で行われまして、その時、たまたまラグビー経験のある同期がいたんです。研修所での風呂の中で「ラグビーやりたいねえ」と話をし、研修の合間にそこらを一緒に走ったりなんかしていました。
それから1年くらい経った1975年、本当にラグビー同好会を作ることになった。
本社に五十嵐さんいう人事の方がいらして、話をしたところ「面白いからやってみろ」と言ってもらうことができました。それで、社内報に部員募集の告知を出したんです。

★初年度の入部者(敬称略)
細田、深澤、鈴木文、園部、山部、大藤、鈴木千、富山、佐野、香川、市来、須田、藤原、

その頃は、日曜日に深川グランドで練習をしていたんですが、練習に来るのはだいたい5~8人くらいで、パスして、走って、練習が終わるといつも錦糸町にあるロッテ会館で飲んでいました。部というよりはまだ同好会ですね。試合でも人数が揃わないから、学生時代の友達を招集したりしていたんだけれど、そのうち高卒のラグビー経験者が数名入社してきたので彼らを勧誘しました。そうして、少し選手が揃っていきます。

山部:この頃から合宿もできるようになってきて、思い出も多いです。当時のメンバーとは今だによく顔を合わせていますね。

 武蔵野苑(東京ガスの施設)でのミニ合宿。当時としては貴重な芝のグランドが使えた。(たぶん1978年ごろ)(山部)

・初めて本格的な合宿を行った苗場にて。宿舎近くの小学校の校庭をお借りしたときのもの。写真左手の敷地外に冷たい小川が流れており、練習後は皆で水浴びした(山部)
・1982年苗場の小学校グランドでの夏合宿の一コマ。仕事で参加できないメンバーが数名いたものの、当時の主力メンバーが集合。(村松)

当時、どんな部にしていきたいという思いはあったんですか?

樋野:釜石(現:釜石シーウェイブス)のようなチームにしたいねとよく話していましたね。高校卒も大学卒も一緒になって、トップを目指すチームが作りたかった。

山部:今でもうちのラグビー部は、大卒を揃えるだけではない、異色なチームだと思うんだけれど、その頃の流れなんだよね。このカタチがいいと思ったんだよ。俺らがやるならこの釜石式だよねって。

樋野:いつも思うのは、ラグビーっていうスポーツそのものが、うちの会社の性格に非常にあっていると思うんですよ。トライした人だけが喜ぶのでは決してなく、縁の下の力持ちが大半。地道な作業が多い導管の仕事そのものだと感じます。

山部:もともと、ラグビーはクラブチームのスポーツだったんだよね。彼らは仕事を持ちながらラグビーをやっている。うちはそれに近いカタチで、「仕事とラグビーを両立していくチーム」になれたらいいな、と当時から思っていました。

村松:そうそう。ラグビーはアマチュアのスポーツ。そこは泥臭くやっていきたいという思いがありましたね。

創部期~強化まで 第2話に続く……

ラグビーのメッカの菅平での夏合宿の食事タイム。菅平プラザホテルにて。よく見るとテーブル上に缶ビール・・・。最終日の打ち上げ・・・?(左手前の田中氏、右手前の臼井氏、真中奥の丸山氏・・・故人)(山部)

(インタビュア:高野美穂)

【本日の3名 PROFILE】

■樋野 和男(ひの・かずお)
創部者 1975年入部
・1973年入社
・1975年ラグビー同好会立ち上げ
・1986~1994(36歳~44歳)
 新宿プロジェクトチーム:新宿パークタワー建設プロジェクトに企画段階からチーム員として参加。環境影響評価特に電波障害対策では数十回の説明会の司会と答弁。土地の等価交換、日本最大級の地域冷暖房施設の地下への移設、超高層ビルの建設などにかかわれた。チームリーダーのプロジェクト遂行の執念なくしてはあのプロジェクトはなしえなかった。今でも尊敬している。
・1994~2006(44歳~56歳)
 資材部:パイプライン(高圧、中圧、低圧)の工事契約チームMg、印象深いのは工事会社の統合、なかでも子会社への統合のための買収交渉。その後の資材部長として常に心がけたことは「フェアであること」。お取引先はどう受け止められているか確信はないが。
・2008~2013(58歳~63歳)
 日本超低温(株):LNG冷熱を使った超低温倉庫。社長として言い続けていること。「コミュニケーションをしっかり取ろう」、「自分で考え、行動する」、「失敗を恐れない」

「自立」と「調和」 これを高い次元で実現できたら素晴らしいと思い、挑戦し続けています。(ジャズのジャムセッション、弦楽四重奏、オーケストラ、ラグビーやサッカーなどそれぞれは別々のことをやっているのにチームとしては素晴らしいパフォーマンスを出す。某国の軍隊パレードやマスゲームの対極にあるもの)

■山部 典昭(やまべ・のりあき)
1975年入部
・1975年入社 入社と同時に入部、入社式より先に初練習に参加。
・1975~1981
 横浜営業所~横浜支社(当時の呼称・関内)で産業用、集団開発、設計業務を担当。
ラグビー部では76年、77年に主将を務めました。
・1981~1991
 湘南支社(藤沢)で産業用、設備工事施工管理、冷暖房営業を担当。
84年に現役引退。84年~86年コーチ、87年~88年監督を務める。
・1991~1994
 神奈川事業本部都市エネルギー部(関内)で官公庁営業を担当。
・1994~1997
 都市エネルギー事業部都市エネルギー第2G(新宿PT)で業種別営業を担当。
・1998~2002
 北部事業本部~北部リビング営業部(滝野川、赤羽)でリビング提案グループマネージャー、営業エンジニアリンググループマネージャー
・2002~2003
 神奈川リビング営業部営業エンジニアリンググループマネージャー(関内)
・2003~2004
 マンションエンジニアリング事業部神奈川北リフォームセンター所長(都筑)
・2004~2006
 広域圏企画部広域調査室(浜松町)で主に長野県、山梨県の自治体へのロビー活動を担当。
・2006~2007
 長野都市ガス(株)営業部部長。一年間だけ、長野市に単身赴任。
・2007.4~現在
 エネルギー企画部エネルギー公共グループで環境コーディネーターとして自治体へのロビー活動を担当(神奈川西支店エリア~川崎支店エリア)。

91年からラグビースクールに関わり始め、現在、藤沢ラグビースクールの校長として、毎週グランドに出かける日々を送っています。

■村松 治郎(むらまつ・じろう)
1982年入部

1982年4月 東京ガス 入社 ラグビー部入部
 根岸工場 製造技術課に配属され、ラグビー部でFWとしてプレーする。
 根岸工場では、「都市ガス製造設備用の制御計算機」の導入やLNGの冷熱を利用した「冷熱発電設備」のスタートアップなどを担当する。
1986年4月 神奈川導管管理事業所にて平日夜間練習開始に伴い、週2回(火・木)業務終了後に根岸工場から練習場まで通うこととなる。
1987年7月 鶴見工場(1997年閉鎖、石炭からガスとコークスを製造する工場)に異動。ラグビー部 引退
1994年7月 生産部 生産グループ 
都市ガスの品質管理、全社のガス生産調整を担当。
1997年7月 根岸工場 計画グループマネージャー
2000年7月 生産部 生産企画グループ 課長 
2003年7月 東京ガスエンジニアリング株式会社 企画部長
2007年4月 扇島工場長
2009年4月 技術開発本部 技術戦略部長
2011年4月 エネルギーソリューション本部  天然ガス自動車事業部長

        現在に至る
趣 味  ゴルフ、卓球、ラグビー観戦

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