ラグビー部の歴史 / history

第6話:東日本リーグ昇格(語り手:打矢・中田・吉村)

知っているようで知らない、所属チームの歴史。データだけでは分からない部の成り立ちを探るため、当時の様子や思い出を織り交ぜて、各時代のキーマンに語っていただく企画です。

今回は打矢さん、中田さん、吉村さんに、それぞれの入社直後の頃の部の状態、社会人リーグ(以下、東日本リーグ)昇格前後の変化について、それぞれの現役時代について語っていただきました。


左から、吉村、中田、打矢。当時に写真や資料などを持参して浜松町本社会議室にお集り頂きました。普段から頻繁に会って(飲んで)いるという仲の良さが伝わります。

本日はよろしくお願いします。まずは、ここまでのこの特集を読まれて、何か感じられたことなどはありますか?

打矢:この企画の初回に、樋野さんが新人研修の風呂の中で同期に「ラグビーやりてえなあ」と話したことがラグビー部発足のきっかけだったことを知りました。まるで囲碁将棋同好会でも作るようなノリでね。もしその会話がなかったら、今のラグビー部はなかったのかも知れないし、そうしたらこの会社に入っていない可能性もあったんだなと。その他にも、結構僕らが知らないことが書かれていましたね。

中田:なんか途中で存続が危なかったなんていうことも書いてあったね。もし途中で終わってしまっていたら僕らは入社していないかもしれないわけで、ここまで順調に来ていたような気がしていたけど、企業スポーツならではの浮き沈みがあったんだなと思ったね。

吉村:五十嵐さんや新妻さんの所属されていた本郷高校は当時から全国大会を目指すような強豪校で、そこでやってきた彼らにとっては当時の東京ガスラグビー部は物足りなかったと思うんですね。土曜日の練習に数名しかこないなんていう状態で、まともな練習は難しかったはず。そこでメンバーの士気が落ちていたら、部が自然消滅してしまっていてもおかしくなかったと思うんですよ。記事にもありましたが、その段階でのいろいろな人への働きかけや努力があったのだろうと、改めて感じました。

過去の記事や、選手名簿を見ながら、当時を振り返る。(左から中田、打矢)

吉村:大学選手権を見ていた牧野さんの鶴の一声で、小林さんや樋野さんに働きかけ、今の部長である柴田さんや、田中さん、塩入さんの採用へ動いたという話も改めて読んだけれど、感慨深いよね。そのとき“たまたま”牧野さんがそういう気持ちになっていなければ、今に至る流れはないのだから、この出来事のあるなしで、その後が全く違うよね。

現在、部にとって大きな役割をされている皆さんですが、これまで部にいろいろな危ない時期があったということはあまりご存じなかったということですか?

吉村:全然、知らなかった。
中田:すみません…。バブル入社でいいことしか知らなくって。申し訳ない。(笑)

打矢:僕らの頃は売り手市場だったねえ。ところで、僕らが東京ガスラグビー部をはじめて意識したのっていつなんだろう。

吉村:僕の場合は4年の春に、合宿所でOBに相談して「東京ガスに入りたいです」って意思を伝えた。そしたら同じ学校だった打矢が「俺も」って。(笑)それまではどこの会社に行きたいなんて言い合うこともなかったので、そこで初めて明らかに。

東京ガスを意識したきっかけは?

吉村:僕は父の影響ですね。父親はメーカーに勤務していて、エネルギー企業がいいんじゃないかと薦められました。ラグビーだけで社会人になってからも活躍できる自信はなかったから、東京ガスを企業として選びました。その上で、塩入さん、弘田さん(扇島工場総務部)などの先輩もいて、ラグビーもそこそこにはできそうだと思ったのがきっかけです。

中田:僕は大学の先輩である鵜沼さんと学生時代から仲良くさせていただいていたので、進路として東京ガスに入れたらいいなと思っていました。

打矢:いくつか(ラグビーで)誘われたこともありましたが、最終的には、企業で選びました。そうは言っても全くラグビーをやらないのは寂しいので、楽しくラグビーができる前提で、漠然とだけどエネルギー業界に興味があったので東京ガスを選びましたね。

入社のタイミングで東京ガスラグビー部が強化路線にあったということは、入社前からご存じだったのでしょうか?何かそのことについて聞かされていたりしていましたか?

打矢:ラグビーの強化っていう感じはあったのかなぁ?どちらかというと、ラグビーやサッカー、アメフトなど体育会系の元気の良い人材を積極採用していくというイメージでした。

中田:僕の場合は誘っていただいた先輩方から「初めから(体制が出来上がっている)トップリーグに入るのもいいけれど、だんだん自分達でチームを強くしていく“手作り感”みたいなのを体感するのはどうだ?」と言ってもらっていましたね。「監督は置かず皆で考えていくから面白いぞ」と。その後、東京ガスとしてここまで強くなるとは全く思ってなかったけどね。(笑)

吉村:シンボルスポーツとしてラグビー部を強化するという明確な意思はなかったのだと思うんです。僕の場合は、知っている先輩が入っていて、その中には学生時代に活躍された選手も数多くいたから、上り調子なのだろうということは感じていたけれど、そうはいっても、(在籍しているリーグなどは)中くらいのレベルだったし、そのあと今日のようにいい選手が入ってくるとも思っていなかったです。

打矢:東京ガスラグビー部の位置を、当時はあまり意識していなかったのかもしれません。

高野:打矢さん吉村さんと比べると中田さんは、鵜沼さんのおかげで、東京ガスの経過をわりと細かく聞かされていた印象を受けます。

中田:僕の就職先選びで大きな比重を占めていたのはラグビーだったからね。当時の東京ガスは大卒の選手を積極的に採用して年々強くなっていたし、「発展途上のチームで、自分の意見も言えて楽しいぞ!」と鵜沼さんから聞かされていました。誘ってもらっていた時はいつもラグビーの話ばかりで、仕事の話はあまり聞いた記憶がないかな。(笑)だから2人が「エネルギー業界に興味があった」なんて言っているのを聞いてスゲーな、と思ったよ。(一同笑)

打矢:でも中田はラグビー中心で就職先を考えたなら、神戸製鋼や新日鉄釜石なんかにも誘われてたよね?なんでそっちへ行かなかったの?
吉村:そうそう。

中田:いや、先に「東京ガスに入ります。」って返事していたからね。(笑)牧野さん、小林さん、樋野さんらにもすでに会って「お願いします。」って言っていたしね。つまり、他社は誘ってくるのが遅かったんだね。両親にも、「一度した約束を裏切ることはするな。おまえは鵜沼さんを信じてるんだろ」と言われて。ある会社はラグビー部のお偉い?方が実家にまで来てくれたりしたんだけれど、親父が「うちの息子は東京ガスに行きます」と断言。決着がついた。その翌日すぐに、田中さんと鵜沼さんが酒もって実家に来てくれたんだよね。まぁ、うちの親父と酒飲んでヘベレケに3人で酔っぱらっていただけだけどね。嬉しかったね。

第6話に引き続き次週、第7話をお届けいたします。(2015年4月6日更新予定)

(インタビュア:高野美穂)

【本日の3名 PROFILE】

■打矢 二郎

1990年 入社
    多摩支社 総務部 広報サービスグループ
1991年 西部事業本部 計画部 経理グループ
1992年 西部事業本部 計画部 事業企画グループ
1996年 都市エネルギー事業部 営業推進グループ
1999年 エネルギー企画部 エネルギー企画総務グループ
2002年 人事部 人事グループ
2005年 神奈川導管事業部 計画推進部 総務グループ
2007年 導管企画部 戦略企画グループ
2010年 首都圏東導管事業部 計画推進部
2012年 日立支社
2015年 リビング企画部 人事総務グループ

■中田 雄一

1990年 入社
中支社 目黒営業所 販売グループ
1995年 中央事業本部 目黒支社 総務グループ
1997年 広域圏計画部 広域計画グループ
2000年 広域圏計画部 北部地域計画部 地域計画グループ
2004年 エリア開発部 北部地域計画部 地域計画グループ
2008年 お客さま保安部 総務チーム
2010年 東京ガスリモデリング(株)出向
2015年 産業エネルギー事業部 産業企画グループ

■吉村 恒

1990年 入社
    南支社 総務部 総務グループ
1991年 中央事業本部 大田支社 総務グループ
1997年 中央事業本部 リビング営業部 営業推進センター
2003年 リビング企画部 流通企画グループ
2009年 東支社 東部営業計画部
2012年 リビング企画部 リビングマーケティンググループ
2015年 広域圏企画部 千葉ガス(株)出向

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